息子はUC,CD or 他のIBD? from: I.K
UC(潰瘍性大腸炎)と診断され難治性のため大腸を全摘、その後も再燃しほとんど緩快も無く入退院を半年ほど繰り返し、発病から1年と1ヶ月が過ぎようとしています。
現在は新薬レミケードを使用した治療を行うため転院し、準備検査をしています。
先週の検査で小腸にも病変があることが分かり、その結果息子の胃から下の全ての消化管全体が病いに侵されているという事が現実となりました。予想していたとは言えこの事実を受け入れることは息子にとっても、母親の私にしても耐え難いものです。
昨年の5月、息子は突然発病しました。「お腹の調子が悪い」と買い物へ行く途中の道端でしゃがみ込んでしまい、その夜から血便(初めは痔かと思いましたが・・
・)が始まり、夜中もトイレにこもる様な状態となり近医から原因不明のまま総合病院へ転送入院となりました。内視鏡検査でUCと診断され(確定ではなかったが)、ペンタサの服用を始めましたが病状の改善が見られず、1ヵ月後専門医の居るT大学病院に転院しました。
病名を聞いた時、初めは何を言われているのかよく分かりませんでした。私自身UCと言う病気があることすら知らず、更に難病だと知らされ頭の中はパニック状態となり何も考えられませんでした。空き時間にインターネットで一般情報を得て頭の中を整理するのが精一杯・・・「一体、息子に何が起こったのだろう?」と何度思ったことか・・・
息子は小学2年(8歳)と言う年齢に対しとても体が大きく、プロサッカー選手を目指し毎日ボールを追いかけている元気な子供でしたが、想い返してみると発病する半年位前から兆候はあったように思います。毎月下痢をするようになり、関節痛も訴えていましたがあまり気にも留めずにいました・・・それに心配になる位食の細い子ではありました。
T大学病院に転院し、顆粒球除去療法(以下 G-Cap)の治療を薦められ受けることにしました。この時はプレドニンを服用することによる副作用を考え、副作用がほとんど無い治療を子供のためと思い選択しお願いした訳です。
1クール6回(2回/週)を試み、内2回は血流が充分に引けず4回程度の成功に終わりました。2回の失敗の理由として、その治療自体が小児を想定したものでないからなのか結局最後まで答えは無かったのですが、治療の効果があり1ヵ月後の大腸ファイバーで状態が回復していたので退院することが出来ました。
この治療において小児の場合大人と違い血管が細いのでIVHからによる治療となり、息子の場合カテーテルの入れ替えを何度か要したのでかなりの負担になった様です。大人の方みたいに気軽にとは行かないのが事実かもしれません。
息子と2人退院を喜んでいたのもつかの間、退院2週間めには食欲不振を訴え始めまたかと思うと息子が泣きそうな声で「もう入院はしたくないんだけど、具合が悪くなったらどうしよう」とポツリ・・・その翌日から悪夢のような日々が始まってしまい粘血便、下血が20回/日以上となり7月中旬に再度緊急入院となってしまいました。
前回あれほどキレイになっていた大腸は点状に潰瘍ができ、真っ赤に脹れ出血している状態でしたので治療を再開しました。今回は前回以上に治療の試行が困難となりその度にカテーテルの入れ替えを強いられ、それに耐える息子の姿が痛々しく見守ることしかできない自分に歯がゆさを感じる日々でした。
その治療の間にIVHが感染したり、ヘモグロビンの数値が6をきり何度か輸血が必要になるなど息子は本当に大丈夫なのかと毎日が不安でしたが、突然吐血したときには驚きました。胃カメラで胃、十二指腸にも大腸と同じ病変が全体にあり点状出血しているとのこと・・・「UCは大腸だけじゃないの?」「もしかして息子はクローン病?」というのがその時の私の声でした。
2度目の入院から1ヵ月以上がたちG-Capの打ち切り、プレドニンも途中から併用していましたが効果が見られず投与量も限界に達していたため、次のステップとして免疫抑制剤(シクロスポリン)投与か大腸全摘の二者択一の選択を問われ、目の前は真っ暗、頭の中は真っ白と右往左往といった状態でした。息子の容態状早期の決断を迫られており、とにかくセカンド、サードオピニオンをと言う思いでしたがどこの病院へ駆け込んだものかと悩むばかり、やっと行き着いたのが難病センター、そこで病院と医師を紹介して頂くことができました。
その結果、思い切って大腸全摘を選択することに・・・胃と十二指腸の病変のことは気になりましたが、「大腸を摘出すれば、ほとんどの場合完治」という医師の言葉もありましたし、この先何度も同じ辛い治療をさせるよりは「完治」という望みに賭けてみたい何とか直してやりたいと言う思いが強かったのだと思います。息子も幼いながらにも自分なりに理解し手術をすることを受け入れてくれました。でも本当に悩みました・・・決心はしたものの手術を受けるそのときまで本当に良いのかと自問自答の日々でした。
手術を受けるためC大学病院へ9月に転院し、プレドニンを減量するためのオペまでの1ヶ月半は息子にも私にとっても長い長い毎日でした。絶食期間も長くなり食べ物への欲求はますます強くなる一方、長期入院からの苛立ちや疲労が募り始めしばしば息子と衝突する日が増えるようになりました。
「もう死にたい」「僕なんか生まなければ良かったのに」と言われたときは言葉に詰まりました・・・いつも明るく、弱音などはかない子なのに本当に苦しくて辛い思い抱え込んでいるようでした。この時以来、出来る限り息子の側に居ようと決め息子のベットに一緒に寝るようになりました。C大学病院の小児外科は完全付き添い(可能なら)が普通ということもあったので・・・今時珍しいですが考え方によっては長期入院を強いられる子供や親にとっては嬉しいことかもしれません。貴重な時間です
から・・・
術前も院内感染やIVHの感染など色々ありましたが、10月中旬に無事大腸全摘のため腹腔鏡による回腸肛門吻合手術(IAA)を受けることができました。オペは8時間の予定でしたが、12時間にも及ぶ大手術となり、術後も縫合不全、腸閉塞などの合併症に1ヵ月ほどの苦しみ、絶食から4ヵ月後にやっと解禁にまでこぎつけ、12月には退院しました。
しかしながら、排便に関してはコントロールが上手く行かず長期に渡り苦労しています。最初の頃は本当に大変で、4ヶ月ぐらいは日中もオムツが必要(今はパット)、夜は未だに欠かせませんが冬の夜中のオムツ換えを何度もするのは辛いものがありました。外出したときのトイレ探しには苦労しました・・・洋式が無かったり、男子トイレにはゴミ箱が無いことが多く困った経験が多くあります。30分で行ける買い物が1時間かかるのは当たり前、食事中にトイレに立つことも毎日、一度は障害者用トイレを使っていて怒られたことも・・・内的障害者の息子にはなかなか難しい環境であることに間違いありません。
術後完治する期待を裏切り、退院2週間後に病魔が息子を襲い始めました。発熱、血便、股関節痛、食欲不振、吐き気を訴え再び入院し、絶食と抗生剤により症状は軽減するのですが再び悪化するといったように3月まで2週間ごとに体調を崩し、入退院を4回ほど繰り返し、この間フラジールなど服用していたのですが検査の結果、回腸嚢、胃と十二指腸に病変を見られました。
その後プレドニンとオメプラール(消化性潰瘍用剤)、フラジール(抗原虫剤)の服用を開始したのですが、3週間ほど下血、タール便とひどい貧血に悩まされました。一度状態も良くなったのですが、4月に入ると毎週のように調子が悪くなり結局5月末まで入退院を繰り返すことに・・・退院後半年、半数日以上が絶食となってしまい、絶食が最良の薬ということが分かったことからラコール(半消化態栄養剤)を試してみたのですが病状が落ち着かず、治療の限界もあり、T大学病院に戻り新薬レミケードの治療を薦められ5月末に転院し、現在に至ります。
どう治療法を選択したらよいのか、今までとてつもない回り道をしてきたのではないかと、今は正しい選択をしているのかと悩める日々です。
初めに書きましたが息子の体の中の病変は胃から下の消化管全てにありますので病変の範囲的にはクローン病のように思われ、潰瘍の症状などは潰瘍性大腸炎としか言うことができないそうです。どちら共の典型的ではない特異例だということなのでしょうか?それならば、今までの全ての治療に難知性を示したのも分からないでもないですが・・・
最後に、気が付かれているかもしれませんが息子は発病して以来ほとんど学校に行かれずにいます。昨年の2学期、長期入院中は少し院内学級を受けることができましたが、幾たびにも転院があったり、入退院を繰り返したり、自宅療養中だったり、先の病状が見えないような難しい状態の子供に対して学業的なサポートは皆無に等しいです。マイナーな病気の上に、この年齢はその数パーセントにすぎないとあって学校やPTAなどに理解して頂くことに困難を感じています。もう少しこの様な病気を理解して頂き、ほんの少しの協力でも得られれば、息子のような内的障害を持った人たち、そしてその家族が
過ごしやすい環境になると思います。これから、「ほんの少しの協力」を得られるよう息子共々努力していくつもりです。
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