私の療養日記
私がクローン病と診断されたのはS63年1月のことでした。当時はまだ珍しい病気だったらしく、診断がつくまでに幾つもの病院を受診することになりました。
大学1年生だった私は腹痛と下痢がひどかったので学校の保健室で紹介された小さな診療所に通っていました。周囲の人には、親元を離れ生活環境が変わったせいだとか、水が変わったからだとか、また、大学のクラブの先輩や同輩には、酒の飲み過ぎが原因だと言われていました。
S62年の夏を過ぎ頃から以前と同じ量のお酒を飲んでも二日酔いをとおり越して3日酔いするようになり、また同年12月の後期試験の真っ最中に腹痛が異常に強くなってきました。
病院に行くと、顔を見て2〜3分間の問診で盲腸と診断され、即手術になりました。盲腸が破れて腹膜炎を起こしていたそうです。しかし、術後の治りが非常に悪かったので、大腸内視鏡・注腸X線検査をおこない、そこで初めて「クローン病」と診断されました。
病名を告知された時には、何がなんだか解らず、2〜3日涙が止まりませんでした。しかし、救われたのは同室の友人のおかげでした。どうしても暗くなりがちな私をあの手この手で深刻に悩まないようにして下さいました。また、クラブの先輩や同輩も連絡を取り合い、親が来るまで24時間体制で看病をしてくれました。大変有り難いことでした。
クローン病と診断される以前に痔の手術もしていました。その時も治りが悪く、振り返ってみると高校3年位よりクローン病の症状が現れていたのかもしれません。大学時代は入退院を繰り返したのですが4年で卒業でき、就職も病気を解るには医療関係しかないと思い製薬関連の会社に決め、現在は医療用具の輸入販売の会社で本社のスタッフとして働いています。
最初の大きな手術は、社会人一年目に大腸をほとんど取り除く手術でした。この手術がその後の私の闘病を苦しませるものとなりました。術後の縫合不全があり、金属棒で探っている際に腸管を突き破られ、一時的に人工肛門になったこともありました。
その後も手術と入退院を繰り返したのですが、私がクローン病の標準的治療と呼べる治療を受けたのはH9年4月に入ってからです。それ以前の8ヶ月間は、個人病院に入院し痔瘻が良くならないままで退院しました。その後、歩行困難になり、シートン法(瘻孔部にチューブを留置し廃液する治療)の手術を受けるために大阪の病院の外科に紹介されました。しかし、先生によると栄養状態が悪く手術しても成功が見込めないということで内科に移ることになりました。そこで初めて成分栄養剤に出会ったのです。
成分栄養剤を使用することで、どんどん栄養状態が改善され、瘻孔が良くなり、日常生活を送ることが可能になりました。その時、患者会の方々に栄養療法や食事について教わり、医療に従事していても判らないことが多くあり、その判らなかったことの重要性を痛感させられました。
H10年4月、同じ病院へ大量の下血のため入院しました。その時は4.6Lの輸血を行い、もう少しで危ないと言われました。狭窄がひどいため、内視鏡検査が出来ないため、治ったかどうか確定出来ないまま、1ケ月で退院となりました。
自宅療養をしてまもなく、大量下血をして近所の病院へ救急車で運ばれました。救急車に乗るのは生まれて初めての体験でした。治療が困難ということで、以前から、内視鏡のスペシャリストとして紹介を受けていた先生に診て頂くため京都の病院へまたもや救急車で、翌々日に移送されました。
出血の原因が判らず色々検査をした結果、H3年の大腸亜全摘手術時にクローン病には行わない「J-パウチ作成」(水分を吸収させるため小腸を継ぎ袋をつくる)を行ったことが、そもそもの発端になっていることが判明しました。この術式は、潰瘍性大腸炎に行われるものです。
J-パウチの肛門側が造影剤でみると1mm位に狭窄していました。J-パウチ部位から出血しているらしいと判断されました。口から食事を取らず成分栄養剤だけでも下血を繰り返すので、手術をすることになりました。H10年8月に3回目の開腹手術となりました。
術前の医師からの説明では、開腹するまで、高度の癒着や腸管走行が不明なこともあり、大変な手術とのことでしたが、手術は無事に終了しました。しかし手術創の感染を起こしてしまい抜糸する羽目になりました。再縫合せずに創傷被覆剤という医療材料を使用して傷口が閉じ、H10年11月初旬にようやく退院しました。
自宅療養中は、下痢や腹部膨満感が酷く病状が好転する可能性も無いと判断し、アメリカで認可されたばかりの新薬TNF−α製剤(レミケード)の投与を受けるために、H11年11月に渡米をしました。その時のヘモグロビン値は5.9(正常値:男性13)で立っているのも辛いくらいの状態まで悪化していました。業界で知り合った友人に、The
Mount Sinai School of Medicine出身のJames
George先生を紹介して頂きました。この渡米では「やれば何でも出来るという大きな自信」を得ることが出来ました。
H11年2月にストーマ(人工肛門)になり結局、薬の効果は無かったことになります。新薬でも、狭窄を解除出来る訳は無いということです。ストーマを付けると、イレウス(腸閉塞)症状は消え、非常に楽にはなりました。しかし、小腸から直接ストーマを造っているので、蓄便袋に溜まるのが非常に早く、食事を取ると、1-2時間に1回はトイレに行かざるを得ません。それでは、仕事にもならないので、食事制限を続けています。たとえ食事を取ったとしても、以前ほど食べられないのと、栄養の吸収率が悪いので、夜間の経腸栄養剤は欠かすことは出来ません。その後は、比較的順調に推移しH11年5月半ばより会社に復帰しております。
![]() |
![]() |
↑実家に咲く花。季節ごとに多くの花が咲き乱れ我が家はまるで森です。
語れば長い療養生活を辿りましたからついつい医療情報は追求してしまいます。情報収集が趣味となってしまっています。主治医には、「病気のことを忘れた方が良いよ。」と言われますが、ついついホームページの更新を頻繁に行っていてた時期もあります。非常に限られたテーマながら、もうすぐ開設以来3年2ヶ月目でアクセスは13万ヒットになります。少しずつ自分以外の方からの原稿が増えつつあり、今後益々医療従事者の参加が楽しみとするところです。
最近の大不況で就職や、いつリストラに遭うか、我々障害を持つものとしては、非常に不利な立場だと思います。度重なる入院にもかかわらず、おかげで首になることもありませんでした。しかし、自分自身では、正直言ってしんどい時期が何度もありました。
実は、昨年H13年勤務先の親会社が買収されました。買収先は、毎年企業グループごと買収しているような会社です。さんざん悩んだ結果、この1年で、海外でも説明のつく実績を残そうと、国際的なボランティアに参加し、ある程度の実績をつくりました。自分しか出来ない何かを持っていれば例え転職しても大変有利になります。幸いに、会計不正疑惑の連日報道で(買収する金や会計処理)、結果的には買収解消となり、今まで通りの仕事が続けられることとなりました。
私は、入院中に色々な分野の一流の人と話します。得るものが多く、楽しみの一つとなっています。難病を抱えて成功している人はたくさんいます。ハンディを意識し、乗り越え、努力することが成功する秘訣であるとも思います。入院中のありあまる時間の活用方法として、皆さんも人物ウォッチングを試してみては如何でしょうか?
私はいつも緊急事態に助けてくれる友人がいます。病気でないと得られなかったものもあると思います。多くの友人に対する感謝の気持ちも忘れてはならないと思います。
「不幸の主人公」では何も先に生み出されるものが無いと思います。前向きに生きていたからこそ、応援してくれる多くの人がいるのだと思います。
私は阪大CD友の会というクローン病の患者会で副会長をしていますが最近は色んな患者さんからも相談などを受けある意味では生き甲斐を持ち生活しています。世間で言うところの面白みのある人生とは程遠い生活をしていますが、この病気が良くなればその分年甲斐も無いことなどやってやるのだ!と自分に言い聞かせています。
| 出口真也 2002.11 |